エマソンは 1890 年にミズーリ州セントルイスで電気モーターと扇風機のメーカーとして設立されました。以後 100 年あまりにわたって発展を続け、地域のメーカーから世界的なテクノロジーソリューション企業へと成長しました。
スコットランド生まれの 2 人の兄弟、Charles と Alexander Meston が、信頼性の高い電気モーターを開発することに多くのビジネスチャンスがあることを見出す。南北戦争当時の北軍の陸軍士官で、裁判官、弁護士だった John Wesley Emerson の出資を得て、兄弟は米国ミズーリ州セントルイスに Emerson Electric Manufacturing Company を設立する。
AC モータを中心に事業を展開し、北米で初の電動扇風機を売り出す。新社長 Herbert L. Parker のもと、高品質の製品を製造する企業として評価を得る。合計売上高が約 60,000 ドルとなる。
天井ファンの製造を開始し、高層ビルの住空間の快適化に貢献する。天井ファンはまたたくまに売上の半分を占めるようになる。
空気をより静かに効率的に移動させるスカラップ形ブレードデザインを導入する。
設計の飛躍的な進歩により、エマソンモーターはより実用的な 1/2 馬力に進化を遂げる。洗濯機やミシンなど、膨大な時間と労力を節約する機器の動力源として使用された。
全国的に電力需要が急上昇する中、セントルイスで開かれた万国博覧会で、光り輝くパビリオン、Palace of Electricity にて製品を展示する。
第一次世界大戦後、年間売上が 300 万ドルに達する。
組織の拡大にともない、Thomas Meston の指揮のもと、セントルイスにある 8 階建ての新しい工場施設へ移転する。
Joseph Newman が社長に就任し、会社のバランスシートの安定を目指す。モーターの大量生産に踏み切り、幅広い客層へ向けファン製品の多様化をはかる。
ファンの売上が低迷する中、Stuart Symington が社長に就任、交流溶接機組み立ての契約を獲得し、米国の百貨店 Sears での販売の扉を開く。
密閉モーターを生産するため、セントルイスで新工場の建設を開始するが、第二次世界大戦に阻まれ、工場は薬きょうの生産に移行する。
Oscar Schmitt の突然の死を受けて William Snead が社長に就任し、長期的経営を新たに開始する。
Knight の指揮のもと、ベストコスト・プロデューサー戦略を打ち出し、低価格のオフショア競争に対応する。1980 年代には、拡大する市場におけるお客様のニーズを満たすため、海外に進出し投資を開始する。
高度なモータ設計実現に向け、エンジニアリングとイノベーションを支える Emerson Motor Technology Center を設立する。新しい製品開発をサポートするためにエマソンが設立した高度テクノロジーセンターのうち、第一号のセンターとなる。
急速に発展するアジア市場で、中国を代表するネットワークパワープロバイダ、Avansys を買収、また Emerson Network Power India Private Ltd. を設立するなど、2 つの重要な舵切りを行う。
初の企業広告キャンペーン、「Emerson. Consider It Solved.」を実施する。
売上高が前年比 11% 増の 171 億ドルに達する。